伝説巨神イデオン 【小説版】

小説感想記10冊目

時は、はるかな未来。外宇宙の植民惑星「ソロ星」において、3体の巨大なメカニズムが発掘された。それは、かつてソロ星の支配者だった「第3文明人」の遺産であった。おりしも、発掘現場に、新たな異星人が出現。ふとした偶然から、地球人と異星人「バッフクラン」は交戦状態に入る。バッフクランの攻撃で父を失った少年ユウキ・コスモは、第3文明人のメカニズムの中に身を隠す。その時、眠っていた「何か」が目覚めた。見るまに合体する3体のメカ。そこに現れたのは、全長100メートルの巨神――イデオン! アニメ界の巨星・富野由悠季が描くスーパーSF巨編、ついに登場。
【1巻そでより引用】

登場人物

ユウキ・コスモ


ソロ星の開拓民、ユウキ・コスモ。17歳。ハイ・スクールに通いながら、父親のユウキ・ロウル博士の手伝いでイデオンの遺跡調査に協力する。分離したイデオンのAメカをカーシャと動かし、初めて動かした一人となる。バッフ・クランの奇襲に遭うと、ロウル博士を亡くしながらもイデオンの合体に成功し、以後はイデオンのメインパイロットとなる。開拓者であるため気性は荒いが、判断は果断にして的確。反射神経も良く、大柄のイデオンを素早く動かす。カーシャとの関係は男女のそれではなく、喧嘩仲間のような趣である。11歳の少年、アフタ・デクに慕われており、イデオンのAメカではコスモがメイン操縦士、デクが観測手といった役割となっている。

ジョーダン・ベス


ソロ・シップの艦長、ジョーダン・ベス。地球連合軍の士官候補生であり、クルーの中で年長者であったことから艦長に選ばれる。軍人だが堅い性格ではないため、コスモとも気安く話す。必要であれば軽薄をよそおえるが根も軽薄な部分があるため、イデの研究員である、フォルモッサ・シェリルとは反りが合わない。コスモの内心での評価はそれほど高くないものの、人を見る目に厳しいカーシャの評価は悪くない。

カララ・アジバ


ドバ家の次女、カララ・アジバ。バッフ・クランの名家中の名家の子女であるため、自然と高圧的な話し方になる。髪色は濃紺、瞳は澄んだ青。その整った容姿から身辺で美しさを褒めない者はおらず、姉のハルルからも健やかであると言わせる。父親のドバは姉のハルルより妹のカララを可愛がっていると噂される。許嫁に士官候補のギジェがおり、退屈を持て余しギジェのイデ捜索隊に帯同する。イデの遺跡があるロゴ・ダウに近づくと、好奇心から無断でロゴ・ダウに降下し、その行動によって地球とバッフ・クランの戦争の引き金となってしまう。戦闘後ソロ・シップに保護されるが、正体に気づかれ侍女のマヤヤと共に捕虜になる。マヤヤとは最初こそ協力的であったが、マヤヤはバッフ・クランに忠誠を誓い、好戦的な性格であることから溝が深まり、袂を分かつことになる。カララは現状を受け入れると傲慢さは影を潜め、進んで協力的になり、ソロ・シップの戦闘アドバイザーとなる。政治体制を除けば、生活様式も技術レベルも殆ど違いがないこともあって、適応に困ることはなく、言語も最初は翻訳機を介してであったが、数時間後には翻訳機すら必要のないものになっていた。感情の機微には敏感で、根は聡明な女性である。

ハルル・アジバ


ドバ家の長女、ハルル・アジバ。25歳。髪色は真紅。妹のカララとは異母姉妹で5歳違い。自己採点では悪くない容姿だと判定するが、きつすぎることを自覚している。宇宙総軍総帥の父親を継ぐものとして周りから期待され、武人(サムライ)でもあり、聡明すぎるがために女であることができなくなった。男性とは無縁の人生と思われるが、かつて付き合っていた男性、ダラム・ズバとは結婚まで考えていた。姉妹関係は元々良好とは言えなかったが、カララはバッフ・クランと地球の間で戦争が起こらぬようにハルルの説得を試み、ハルルは連合軍の使いとなりアジバ家として自覚に欠けるカララの行動に怒りを覚える。カララの説得は交渉の余地すら無く、地球とバッフ・クランの関係は決定的になる。その中でカララはソロ・シップに積極的な協力をする立場になり、ハルルは連合軍ごと滅ぼすため麾下の艦隊を動かす。

ロボット要素

イデオン


遺跡に眠りし伝説の巨神、イデオン。ソロ星の遺跡で10万年以上もの長い間埋もれていたとされるが、装甲には錆の一つも見当たらない。赤レンガ色の装甲は塗装によるものではなく、金属の色そのもの。装甲は後にイデオナイトと名付けられる。ただの装甲ではなく、装甲そのものがイデの一部だと考えられている。通常動力は核融合エンジンで賄われるが、機体を動かすには明らかに不足しており、無限力(むげんちから)と呼ばれるなんらかの力が働いていることは確か。操縦系統は第六文明人のシステムを模倣したもの。第六文明人の体格は地球人の2倍ほどあったとされ、模倣するにあたりダウンサイジングが図られた。コックピット内は高度な加重吸収システムで支えられ、どれほどの衝撃があろうとGは殆ど感じられない。操縦系統のシステムは搭乗者の一人である、ファトム・モエラによって数時間でプログラミングされた。武装面では、全身の各部にミサイルを内蔵しており、全方位を同時攻撃の対象とする。ミサイルは地球製のものを改造して補給する。腰にはグレン・キャノンを装備。ビーム攻撃を行う。また、素手での格闘も強力で、当たりさえすれば相手の装甲をやすやすと引き裂く。イデの発現が強くなると息遣いのような唸り声を上げ、手首の排気口と思われる場所から光の粒子を放出し、粒子の奔流を爆発させ振り抜くことで触れたものを容赦なく切り裂く。イデオン・ソードと名付けられたその武装の射程は数百kmに及ぶ。防御面にも優れたメカで、バリアーに覆われているため生半可な遠距離攻撃では傷ひとつ付けられない。バリアーもイデの発現が強くなるにつれ、色がオレンジ色から透明となり純度が高まる。バリアーが強力なためか、装甲はそれほどの強度を持ち合わせていないのが唯一の弱点と思われる。

遺跡での発見時はA、B、Cの3つの車型のメカであった。軍の調査では動かすことが出来なかったため、考古学と古代言語学の専門家、フォルモサ・ルロイと、地球物理学とコンピューターのプロ、ユウキ・ロウルの指揮のもとで調査が行われることになった。調査の結果、乗り込むものが若ければ反応を示し、若ければ若いほど備え付けのゲージ、イデゲージが強く反応を示す。イデオンの名称はゲージの文字を分解するとギリシャ文字でIΔEONと読めることから名付けられた。バッフ・クランの言葉ではイデを含むものという意味になる。バッフ・クランの伝説ではイデは輝くものと言われ、イデオンという名称がバッフ・クランに伝わった後でも、イデ伝説との共通性を避けるかのごとく巨人の通称で呼ばれる。

Aメカ。37メートル。頭部及び腕部になる。コックピットブロックは二重で覆われている。合体時のためにAメカの左右にはハッチがいくつも設けられている。Bメカ。胴体になる。Cメカ。75メートル。腰及び脚部になる。合体後の全長は100mを超し、大気圏内でも飛行が可能である。合体後も各コックピット間の移動は可能であり、イデオン内の移動はムビオラと呼ばれる磁力で移動する小型の乗り物で行う。初合体時の搭乗メンバーは、コスモ、デク、シェリル、ミムラ・ジムナウ、カーシャ、ファトム・モエラ。シェリルを除き搭乗メンバーとして固定され、マルス・ベント、ギャバリー・テクノを加えたメンバーで動かされる。連合軍に組み込まれる際に便宜上で戦艦扱いとなる。

ソロ・シップ


ソロ星で見つかった遺跡船、ソロ・シップ。全長550メートル。名称はソロ星の船という意味で付けられた。その外観からバッフ・クラン軍からは四つ脚の名称で呼ばれる。ソロ星の第2遺跡での発見時は船体の多くが鍾乳石に埋もれていた。船体左右に取り付けられた4基の可動式アームにはエンジンが取り付けられ、船体後部の左右にも2基のエンジンが搭載されている。計6基のエンジンはいずれも反物質エンジン。その他に船体中央部には核融合のノーマル・エンジンが搭載されている。数度の稼働を示す痕跡がありながらも通常エンジンすら動かすことは出来なかったが、イデオンと共有するイデゲージが反応を示したことで稼働状態となる。機能面では地球製の外宇宙船(アウト・シップ)に類似するが、デス・ドライブ(亜空間飛行)の衝撃は地球製の外宇宙船よりひどく、搭乗者のことがあまり考慮されていない様子。防御面ではイデオン同様に超強力なバリアーで守られているため、生半可な攻撃では傷一つくことはない。大きな船体であるため、前部甲板にイデオンを仰向けの格好で受け入れられる。船体の中央甲板下にはイデオン・ガンが埋め込まれている。当初は補助機関の一種だと考えられていたが、3機のメカが合体して人型になったことで、イデオンのための大砲と判明した。その他にもイデオンのための装備と思われるミサイル・ランチャーや機銃も見つかっている。艦内には林や自給自足を行うための大規模な農場スペースもあるため、豚や鶏などが飼育されている。クルーは軍属が80人。民間人が420人。ソロ星では2500人が暮らしていたが、ソロ星からの脱出時には大きく減じていた。

ガンガ・ルブ


バッフ・クランの重機動メカ、ガンガ・ルブ。イデオンと同等かそれ以上の大きさを誇る。左腕はミサイル・ポットであるが、右腕は純粋なマニピュレーターのため格闘時に用いられる。格闘戦ではそれまで無敵と思われたイデオンのバリアーを突破することに初めて成功した。コックピットは脱出カプセルの役割も担う。バッフ・クランの重機動メカは円盤状の本体に2本のマニピュレーターが付くまでは共通だが、脚の数は2本と3本に分かれる。ガンガ・ルブの場合は3本。戦略思想としては歩兵の延長で、陣地を確保することを目的としている。開発にはバッフ・クラン軍の力だけでなく、豊富な資金力を持つオーメ財団の協力もある。

アディゴ


バッフ・クランの軽機動メカ、アディゴ。機体正面に大口径の加粒子砲を積む。アディゴに積まれた加粒子砲は重機動メカのものより高性能で、ビームに粘着性のようなものがあり、バリアーに放電現象を起こす。素早い動きから近寄って加粒子砲を放ち、その直後に放たれた部分で自爆をすることでバリアーを突破する。滅法強力なイデオンのバリアを食い破る戦い方から錐の戦法と呼ばれ、バッフ・クランに光明をもたらす。

イラスト


小説版イデオンにはソノラマ版と角川版の2種類があり、今回読んだ角川版のイラストは問題です。まず、メカについて。アニメ版イデオンをご存知の方であればアレンジされて生物的なデザインになったイデオンに驚くのではないでしょうか。アレンジ自体は凄く面白いです。アニメ版の少し野暮ったい印象を受けるデザインから、尖りに尖ったデザインになったことでイデの特異性は表現できていると思います。しかし、文章から受ける印象及びイメージに生物感は全くなく、アニメ版のデザインを想起させる文章しか書かれていません。そのため、イラストと文章の親和性が極めて低くなっています。


バッフ・クラン側のメカデザインも生物的になっています。しかし、こちらのアレンジには違和感を抱きませんでした。何故かというと、文章では大まかな形については書かれているものの、それほど細かくは書かれておらず、生物感を伴っていてもイメージから外れません。イデオンも文章からイメージされる中でのアレンジだったら心から堪能できたと思います。


キャラも大幅なアレンジというか、アレンジの範疇を超えて変化していると思います。キャラの外見についてはそれほど細かく書かれていませんし、アニメよりキャッチーなデザインなのでとっつきやすいです。

ただし、髪型や髪色は文章とイラストでは食い違っています。コスモの髪型はカーリー・ヘアと書かれていますので、直毛であることにはかなり違和感を覚えます。ギジェもイラストでは直毛になっていますが、文章ではオールバックです。また、カーシャの髪色も金色と表現されていますが、イラストでは赤色になっています。

メカ、キャラ共にデザインの大幅な変更は問題だと考えられますが、本作のイラストには別の問題があります。イラストの枚数こそ多いのですが、文章間にはイラストが一枚もありません。巻頭にメカイラストとキャライラストが数枚、各話の扉絵が数枚という形で構成されています。イメージするために必要なイラストの殆どは提供されているわけですが、本文中でイラストがほしいと思った場面に無いのが残念でした。具体的にはソロ・シップの細かい外観、艦内の様子、イデゲージなどのイラストがほしかったです。イデゲージに関しては文章中に絵文字のように埋め込まれているので形までわかるのですが、イラストでイデゲージとそれを見ている様子が描かれていると印象に残りやすかったのではないでしょうか。

雑感

実のところ、イデオンという作品にちゃんと向き合うのは初めてです。予備知識としてはスパロボだったり、噂話として結末がどのようなものか知っているレベルです。あと、すごく昔の記憶ではアニメも少し見たことがあるはずですが、殆ど覚えていないので手持ちの情報は上っ面のものです。そのため比較ではなく、小説版だけの感想になります。

まず、読み始めて受けた印象は、物語ではなく宗教書や哲学書を読んでいる気分でした(実際には読みません)。物語の先を気にさせる作りというよりは、イデとはなにか、善きものとはなにかといった概念的なものを考えさせられました。つまらない表現ををすると退屈な書物だったわけですが、そこは作者の腕の見せ所です。

作者の富野さんはアニメ監督としてとても有名な方ですが、文章力も素晴らしいです。派手な文章ではないですし、勢いはなく淡々とした文体ではありますが、凄く読みやすい。また、富野節といったものがしっかり台詞や間にも反映されているので文章に雰囲気があります。富野さんのアニメ作品と比べると情報の詰め込み方も適切で過剰には感じず、読み物として凄く良いバランス感を持っています。

本作の1巻、2巻を読んでいる間は感情の起伏はそれほど覚えませんが、3巻は違います。それまで溜めに溜め込んできた様々なものが爆発します。読んでいる自分の感情という意味でもそうですし、作品の内容も爆発しています。ここまで読者に強いてきた思考も全てが伏線であって、3巻で全てが爆発します。爆発という単語を連呼するほどの、それほどの衝撃が3巻には凝縮されています。

全3巻を読み終わった時に、とんでもない作品だと思いました。読んでいる間は常に悶々として、思考が溢れて、書きたいことは常にあって、読んでいるというより考えていました。文章はしっかり追っているし、イメージも湧いているのだけど、常に別のところに意識はあった気がします。物語としてみると思考の広がりが煩わしく、楽しめたと確信は持てません。ただ、読み終わった時になにか重いものが心に残ります。そういう感情を抱かせる作品です、本作は。

小説版イデオン 副読ページ

名ありの登場人物がやたらと多いので作りました。ネタバレを避けたい人には丁度いいかもしれません。メカと単語もまあまあ羅列しています。ちょいちょいふざけています。情報は小説版のものなのでアニメの視聴のお供には多分向いていません。小説版特化です。

本作を読んでいて名ありの登場人物の多さから混乱することがあったので、簡易キャラ紹介をおまけで作りました。一言紹介みたいな感じなので使いにくいかもしれませんが、これから読む人にはメモ程度に使えるかもしれません。よろしければお供にどうぞ。

作品データ

伝説巨神イデオン
富野由悠季
湖川友謙
朝日ソノラマ ソノラマ文庫 1981/11 ~ 全3巻
角川書店 角川文庫 1987/12 ~ 全3巻 (今回読んだ版)
角川文庫版イラスト枚数 1巻20枚 2巻19枚 3巻19枚 (キャラ紹介など含めた枚数)
同名アニメの監督によるノベライズ作品
角川文庫版のイラストは後藤隆幸さんと小林誠さんの二人







100

表紙と外部リンク

伝説巨神イデオン 1 覚醒編
1987年12月発売
伝説巨神イデオン 2 胎動編
1988年1月発売
伝説巨神イデオン 3 発動編
1988年2月発売

余談(ネタバレ注意)

余談という名の本題です。ネタバレをバンバンにしていくので、ネタバレを食らいたくない人は帰ってください。あと、一部の場面でお下品な言葉が多くなる予定ですので、苦手な方はお気をつけ下さい。

各巻の印象

まずは、雑感の方では触れていない各巻の印象から。

1巻はヒステリック。物語もそうだし、キャラの内面もそうですが、作品全体が狂騒に駆られています。富野さんの地の文ぐらいしか落ち着きを感じさせません。

2巻は引き潮(しっくりこない一語です)。狂騒から醒め、各キャラに意識を別の方に向けるゆとりができています。そのため、尖りきっていた感性が若干丸くなって落ち着いた印象を受けます。

3巻は諦観。全てが他人事であり、諦めに近いものを受けます。人の意志が及ぶところではなくなり、イデの意思を体現することに終始しています。そして、生臭かった。それまで溜めに溜めてきた生臭さが一気に噴出して、読むのがつらかった。同時に一番美味しいところでもありました。

同じトーンで各1巻での全3巻ではなく、各巻ごとに表情の全く違う全3巻での作品でした。

カララ

巻頭の説明文や、作中でもカララが戦争の引き金という形で書かれていますが、自分にはミスリードにしか思えません。

どう考えてもバッフ・クラン人は血の気が多いです。和解するチャンスはいくらでもあったにもかかわらず全てをふいにしています。逆にカララがいればこそ和解の機会が増えたと思っています。しかし、それでも本能的に戦争の継続を選んでしまうのがバッフ・クランなのではないでしょうか。

カララの好奇心から地球人とバッフ・クラン人が接触し、戦争になり、ともに滅んだという意味ではカララが諸悪の根源という考え方はできます。しかし、カララと地球人の接触はそもそもイデの意思ですよね。そして、カララという人間が選ばれたのは美人であるため警戒心を抱かせにくいことと、環境に適応できる柔軟性を持った人間性であることからでしょう。

ファーストコンタクトがハルルだったとしましょう。これはもう最初から滅亡一直線です。和解の道は最初の最初からありえなくなります。たとえハルルが捕虜になったとしてもソロ・シップ内で流れる血の量が多くなるだけです。これはギジェの場合でも同じでしょう。彼もカララのように仲間になるという意味では同じですが、大きな変化を経てからの話ですよね。カララほどの家格があって、あれほど柔軟になれるのは一種の才能だと思います。

カララとギジェ

カララのもう一つの問題はギジェという許嫁がいながら地球人のベスと結ばれるという尻軽さです。

カララとハルルは完全に対比になっており、ハルルは隙を作らず女であることを外に見せないことでドバ家の人間であることを翳し続けていましたが、カララは隙を作ってドバ家の人間である前に女であることを晒していましたよね。

カララとギジェの関係については最初のやり取りが全てです。ダミドに敢えて声を掛けることでギジェに意識をさせ、ゲームを探すという名目でギジェの部屋に無断で入ります。スカートを履いて隙まで作ったのに何もしてこない、お堅いギジェという人間を完全に把握しています。

そこにベスという男は軽薄です。バッフ・クラン人であることやドバ家の人間であることも関係ありません。カララという人間と接するに従い、カララに正面から向かって好意を示すようになります。美人に美人と正直に言います。吊り橋効果という見方もありますが、単純に人としての器はベスの方が大きいです。自分は気持ちに正直だったベスという人間が好きだし、ベスを好きになったカララが好きでしたね。

ハルル

3巻の主役であり作品の主役といってよいでしょう。とにかく醜い。ハルルという女の醜悪という言葉では表しきれないほどの絶望的な醜さがなんとも言えません。ドバの怒りは正にで、失望という言葉では表しきれないほどの怒りを覚えます。ハルルという醜い糞女のエゴの噴出の前に死んでいくカララが、カララの死を受け入れなければならないベスがかわいそうだった。

ハルルが女に戻る機会はいくらでもありました。ダラムの存在もそうだし、ズオウ大帝とのやりとりもそうです。ただ、自分の理想が高いためにダラムの存在を拒絶し、好んで男を演じ続けただけです。

先程書いたようにハルルとカララは完全に対比です。カララはベスに理想の男性像を押し付けず、それで丁度よいと受け入れていました。ハルルはどうでしょうか。ダラムに理想の男性像を求め、隙を作りませんでした(書かれていない部分でもそうでしょう)。

カララを殺したのがドバ家のためであればそういうものだと思えるのですが、嫉妬で妹を殺すというのがなんとも醜いです。自業自得でしかないのになんで嫉妬できるのでしょうか。女である前に人として腐っているとしか思えないのが残念です。

ハルルが男を演じることになった主因は間違いなくドバであるし、アジバ家なのでしょう。そして、ドバがバッフ・クランのエゴの象徴というのもまたそうなのでしょう。しかし、ドバがエゴの象徴であってハルルがエゴの象徴で無いというのは理解が出来ません。ドバがエゴそのものだとしたら、ハルルはエゴが生み出した怪物ではないでしょうか。より本能的な恐怖はハルルの方に感じます。

ここまで嫌いになれるキャラはなかなかいないので貴重な経験をさせてもらいました。人間としてはとことん嫌いなキャラですが、ハルルという人間のキャラ造形は偏に凄かったです。

善きもの

ギジェの善きものの考え方。食物連鎖の許容か従容の違いではないでしょうか(言葉の意味的には正しくないかも)。戦争を嬉々としてやっているバッフ・クランが善きものという考え方はそもそも無理があります。カララを見ても、感覚的にも一般的な道徳観は似通っています。その中で、虐殺を繰り返すバッフ・クランが善きものだと考えられる傲慢さは食物連鎖の頂点立っていると思うからこその傲慢さです。

最初のソロ星で全人口の4/5にあたる2千人を殺害。次いで、アジアンでは準光速ミサイルを3発も打ち込んだことによって、少なくとも3千万から4千万を殺して、嬉々としています。その次は月へも準光速ミサイルをボコボコぶっこんで、地球も壊滅的な被害を受けたはずです。

感覚的には地球人とそれほど差がなくともこれだけ出来てしまう。彼らの感覚で、これで善きものと考えられる傲慢さはどこから来ているのでしょう。社会体系の違いによって、支配階級と非支配階級があることで、下のものへの憐憫すらなくしてしまったのかもしれません。そのために、下とみる地球圏の人間はいくら殺しても悪しきものにはならないのかもしれません。その考え方はやはり傲慢ではないでしょうか。

イデ

ここまでの余談と繋がりますが、仮定としてもバッフ・クラン側がイデに先に接触できる可能性はありませんでした。

イデが両種族に最初に行ったことが輝きのコンタクトだと思われます。ここでバッフ・クランは地球人の外宇宙船を問答無用で撃沈しています。作中のイデから受ける印象では両種族の争いではなく邂逅を望んでいたはずです。有無も言わず攻撃をする種族に自身のイニシアチブを渡すとは思えません。地球人側が先に接触をしたのは偶然ではなく必然です。

そして先程書いたようにカララが最初に接触したのも必然です。バッフ・クランの人間にあって柔軟な思考をしていますし、容姿が整っているので警戒心を解きやすい。イデが最初に求めたのは刹那的な接触ではなく、長い結びいつきを求めてです。そういった意味でベスとカララの関係は象徴ですし、その二人から生まれる子供は正にメシアだったわけです。しかし、母を失った瞬間、メシアはメシアになることができなくなりました。

TV版ではどうなっているのかわかりませんが、小説版では母親が死んでも胎児は生きていました。しかし、それでもメシアではなくなったと思っています。バッフ・クラン人のカララという存在は失われ、地球人のベスしかいません。生まれたとして赤子のうちはメシアでいられるかもしれませんが、物心が付けば付くほどメシアから遠ざかるのは必然でしょう。カララとベスの二人がいてこそのメシアだったはずです。

エンディング

終わり方について。ハルルの醜さが描かれている部分では怒りという感情は存分に湧いたけど、その後の命が失われていくさまに悲しみはありませんでした。感覚的にはカララの死で全てが終わり、自分の中ではすでにエンディングが流れていました。だからこそ、その後全ての人類が滅んだ場面では逆に得られたとすら感じました。ハルルの死の瞬間も嫌いな人間ながらも喜びや興奮は感じず、ただの救いでしかなかった。

この救いという言葉は殉死に近いかなと思います。現代では良い意味の言葉とは受け取れませんし、自分も虚しいものだと思っているわけですが、取り返しの付かない所まで来てしまった状況では救いだと感じてしまいます。殉教のように誰かを巻き込むことは理解できませんが、死ぬことで救われるというのは感覚的に凄く理解のできることです。だからこそ終わり方は救いです。

バッドエンドではなく、どこか幸せな気持ちすら感じました。物悲しくはなく、もう一度やり直そうと前向きにさせてくれました。これは本作がフィクションだからなのは言う必要もないことですね。

また、イデの介在がなくなるのも救いでした。正直なところ神のような存在に動かされている人たちを見ているのは苦痛です。自分の考えを持たず、考えを持ったかと思えば全て何かのせい(あて)にする。そのような見苦しさからの解放が書かれていたので、自分にとってはバッドエンドではなかった。相応しい言葉はやはり救いです。

イデオンの評価でエンディングがどうこうというのはよく見かけますけど、衝撃度はカララとハルルの方が圧倒的に上だったかな。エンディングに関しては予備知識を持っていたために構えていた部分が無きにしもなのもあるのかもしれませんけどね。まぁ、小説版に関しては少なくともバッドエンディングではなくビターエンドって感じでした。描写も淡白だったし、悲壮感は全然感じませんでした。

疑問 地球連合

ここからは作品に対しての疑問を軽く書きます。まず、地球連合及び連合軍の軍人についてです。連合軍の軍人は基本的には無能といった印象を受けるような書き方がされていたと思います。しかし、個人的にハッキリと無能だと思ったのはマーシャルぐらいです。正確にはマーシャルにイデの掃討を下した上層部も無能の誹りは免れないでしょう。

しかし、アジアンの軍人だったり、ソロ星のレクレオ参謀長は結構有能だと思います。また、マザーの軍人を臆病者呼ばわりしていましたが、あの場面でのソロ・シップのクルーの思慮の浅さはかなり問題だと思います。

種の存続という観点で考えればマザーの判断のほうが正しいです。少なくともバッフ・クラン人も地球の軍人も同様の考えを持っているので母星の位置を隠していましたよね。あの柔軟な思想を持つカララでさえちゃんと伏せていました。そこにきてソロ・シップのクルーはどうでしょうか。自分たちが大変な目にあったからといって、存在を隠すことを悪しざまに言えるものでしょうか。

また、アジアンの軍人が優秀だと思ったのも理由としては同様ですね。状況から考えてソロ・シップが敵を引き連れていることは間違いなく、ソロ・シップを引き離すことで民を守れるというのであれば選択として間違っていないはずです。そして、実際にアジアンを戦火に巻き込んでいながら、マザーでは巻き込まないと思った理由が知りたいところです。

個人的にこの部分で問題なのは(ソロシップは関係なく)マザーが狙われる可能性を指摘しなかったことです。バッフ・クランをなんとかしないと(アジアンのように)マザーも危険ですよ、という説得及び文章がない。だからこそ、ソロ・シップの面々の無能さ、思慮の浅さが気になってしまいます。

ソロ星のレクレオ参謀長について。彼は俗物のような印象を受ける人物ですが、地位に固執せず民間人の保護を最優先し、ソロ星からの脱出を計画していることからも無能だとは思えません。敢えて苦言を呈するならば、ソロ・シップという未知の船にすべてを託したことが挙げられますが、少ない戦力での防衛よりはまだ勝負になる賭けです。真に無能であれば無意味な全面降伏を選ぶか、イデオンを戦わせて避難のための指示を出さなかったのではないでしょうか。

疑問 生臭話

本作は生臭い描写がかなり少なかった。3巻の途中までは死もあっさりと描写されています。その中で異彩を放っているのがキッチ・キッチンの死ではないでしょうか。好意を寄せ合ったコスモによる誤殺というかなり重いものです。

このエピソードは面白いという言葉は相応しくないのだけど、読み応えがありました。しかし、人間臭いエピソードが盛り込まれているのが不思議でもありました。ここまでがそうであったし、3巻の途中まではこの手のエピソードはオミットされてきました。それ故に3巻の爆発が衝撃的だったわけですが、何故キッチンのエピソードだけ書いたのでしょう。

そして不思議なのはカララの初夜が書かれていないことです。それとなく匂わせてはいますが、書くだけで印象の違いを与えられたはずです。至る過程の葛藤を描くだけでもカララとベスの気持ちにもっと寄り添えたはずで、富野さん的には求めていないのかもしれないけど、カララの死はより劇的になっていました。書かないのは富野さんが生臭い部分を嫌ったのかと思ったわけですが、キッチンのエピソードはあるのですよね。何故避けたのか理由が知りたいところです。言葉のチョイスの端々に伏線はっぽいものを感じていたのですけどね。

余談の余談

モエラは2巻の終盤で死にましたよね。それなのに3巻の序盤(28p)で何故か笑っているのだけど、どういうことでしょうか。ファトム・モエラだけにファ(ン)トムということでしょうか? 自分が持っているのは初版なので、重版の際に修正されたのかどうかが気になるので初版以外をお持ちの方は是非情報をください。また、ソノラマ版ではどうなっているのかも気になりますので確認できる方は是非。修正されていないのだとしたら、次にスパロボに参戦したあかつきにはモエラかソロ・シップのクルーに復活コマンド付けてくださいスパロボスタッフの皆さん(冗談です)。

もう一つ。本記事冒頭のあらすじ、第3文明人について。自分の打ち間違いではないです。打ち間違えているのは角川であり、2度繰り返していることからも確信犯でしょう(実は2巻のそででも同じ間違いをしていますので3回ですね)。単純な勘違いだと思われますがなんなんでしょうか。本文中ではちゃんと第6になっていますし、第3文明人なんて出てきません。キャラ紹介のページでは最後までハイパー・ルウになっていますし(本文はパイパーです)、単純な誤植が多いです。

あと、イラストの発注も間違っています。自分の勘違いでなければですけど、ドグ・マックは一切出てこないのに何故かイラストだけあります。

誤植に誤発注にモエラのファントム化と不可思議に感じることが多いですが、これもイデの為せるわざかもしれません(完全に角川さんの確認不足ですありがとうございます)。

それと最後にもうひとつ。3巻の表紙は誰なんでしょう。デザインはカーシャっぽいけど、黒髪だから別人だよね。それに、カーシャは表紙を飾るほどの出番が無いですから、もしカーシャだとしたら違和感ですよね。個人的には3巻の顔はハルルだと思いますのでハルルでよかったような。次点でベスとカララとか、ギジェとシェリルなんてのも狂気を感じて良いかもしれないですね。大穴はドバさんです。

締め

書きまくったね。これでも語りきれていない気分になりますが、これ以上書くこともできそうにないので終わります。まとまっていなくてごめんなさい。お付き合いありがとうございました。

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